島田紳助さんが、若手芸人に向けて行った講演の動画を見た。
その中で、若手の時代に紳助さんが自分の漫才をどういう戦略で作っていったかを語っている場面がある。
紳助さんは、面白いと思う漫才を分析した結果、20年選手の漫才師は、1分間の間が多いことに気がついたそうだ。そして、同時に同じ漫才を若手の自分にはできないことにも気がついた。
間が多いということは、その分しゃべりの技術が必要になるため難しい漫才になってしまう。10、20年と時間がかかる。でも、島田紳助はすぐに売れたい。
そこで、紳助さんは、間が少ない漫才を目指すことにした。ベテランの漫才の間が20個なら、自分たちの漫才は8個の間。これなら、しゃべりの技術が低くてもできる。ミスが少なくなる。技術的には低いが、客は「おもしろい!」と思う。
自分自身に置き換えてみると、少し自分に重なることもあったのでメモしておこうと思う。

授業は技術的には低くても

教員になって初めの数年の授業は、技術的にはどうしても低いものになってしまう。
これは仕方がない。
同僚や隣のクラスにとんでもない実践家やモデルがいたり、
すばらしい実践をしているレベルの高い学校に赴任したりして、
指導してくれるのなら話は別だろうが、そんな状況に恵まれることの方が少ないのではないだろうか。
だから、僕は、本を読んだり、セミナーや研修に行ったりした。
しかし、自分の実践のレベルはそう簡単には上がらない。

教材をよく練り、発問を工夫し無駄のないきれいな授業を展開するのはすぐには無理だと思った。
だから、シンプルさを求めることにした。
ある程度授業の型を決めることで、技術的には低くても子どもが集団で学んで「楽しい」と思えるようにしようと決めた。
ここで言う「楽しい」とは、授業中でポジティブな感情になれるようにするということ。
これなら、多少技術的には低くても、楽しく過ごせる集団を作ることができれば何とかなるのではないかと思えたからである。つまり、学級経営を充実させること。
今振り返ってみると、最初の5,6年はこの辺に力を入れていたように思う。

次のステップは・・・

紳助さんの話には、続きがある。
自分たちの漫才がある程度完成して、売れる見通しもついた。
それと同時に、自分たちの漫才が通用する期間が限られたものであることも分かっていたそうだ。

「技術的な低さがある。」


10年以上教員をやってみて、これはずっと自分の中で引っかかっていたことだ。
今から足掻いて、教科教育でひとかどの人物になることは難しい。
どっぷり一実践家として生きていくには、ますます厳しい学校現場の現状。
シンプルさを求め続けた結果が良かったのかどうかわからない。
少なくとも、戦略を考え直さなきゃいけない時期になってきたのだということは思う。
技術的な低さを上げていくのか、それとも別の領域の力をつけて、それなりのレベルのことをどの領域でもできるようにしていくのか。